商店街の歴史

能代市畠町商店街振興組合では、今年度売り出し事業の一環として、畠町商店街の歴史調査とそれのネット上への記録保存事業を行いました。

畠町商店街の一番華やかなりし頃に大活躍した若い世代が、高齢化して、逝去される方々も多くなってきました。これは、存命中にお話を聞いたり、記憶を残しておかないと、後の世代に永久に失われてしまうという危機感をもったものです。

確かに、明治~昭和初期当時のイメージはそれとなくはできますが、細かい生活感覚までは現在ではとらえることができません。いまはまだ、昭和40年前後は、高齢の店主には、肌感覚で思い出すことができます。

今回の事業で、課題として残ったことは、写真や、文書、資料の著作権などの権利関係です。かなり昔の資料は良いとして、昔のテレビタレントさんなどが掲載された印刷広告物では、著作権の問題もあり、顔の非表示加工なども行ったことをお詫び申し上げます。

畠町商店街の歴史は、能代市の成り立ちから起こしておりますので、こどもたちの郷土学習の一環としても使えるのではないかと思われます。

ただ、過去のノスタルジーを追ってきたわけではありません。明治~昭和初期のなにもなかった時代の商店主たちは革新の意欲に燃えていたように思います。例えば、明治に自転車屋を開業するということは当時としては画期的な出来事だったと思います。生花店の開業も最新ビジネスでした。商店街のお店からはいくらでもあげられます。

また、動画の最後のほうで畠町出身の島田五空の事例をとりあげていますが、彼は能代市(当時は能代町)に、文化の香りを定着させようと一生懸命でした。すなわち、文化の中核となる一長堂書店、北羽新聞、活版印刷業を畠町で開業したり、私立図書館をはじめたり、俳句活動を大きく普及させようとしたり、学校の設立にも貢献していたことがわかります。

井坂直幹は、当時としてはイギリスから最新鋭の木材機械を購入し、東洋一の木都といわれるまでの大企業群をつくりました。木挽き製材から機械製材への一大転換です。

単純に、昔のことだからと終わらせるのではなく、彼らがいま、生きていたら、この人口減少が続き、活力がなくなってきた能代市でなにをするだろうかと問いかけてみることも必要ではないでしょうか。人口減少が言い訳にならないことは確かです。ちなみに明治中期には、秋田県の人口は約70万人程度で、現在の大減少している秋田県人口より、さらに何十万人も少ないなかでの彼らの活躍でした。